「庶民」という言葉 <第1弾>
 誰でもというわけではないが、この「庶民」という言葉は政治家や私たち議員が、比較的好んで使っていると思う。
 私が所属している杉並区議会でも、本会議や委員会の質問のときに、「庶民本位の政策を!」とか「今日は、庶民の声を届けます」などと言う議員がいる。
 もちろん、私自身がそのことについて否定するものでもないし、そんな権利もないと思っている。
 国語辞書で「庶民」を引いてみると、"特別の地位・資格・権能など持たない、一般の人たち」(三省堂・新明解国語辞典)となっている。<辞書から言葉の意味を引用する際に、何故か日本では、ほとんど岩波書店の「広辞苑」を使っているのは不思議なことだ>
 話は違うが、政治(行政)の究極の目的は「福祉」の充実であり、私は資本主義・自由主義を基本として、著しく不公平な経済・生活状況を生み出さないように活動することが、自分に与えられた重要な使命・役割と思っている。
 そこで、「庶民本位」も「庶民の声」も良いのだが、日本の国民が皆「庶民」になったら、その「庶民」の福祉向上の原資(税金)は誰が納めるのだろう。
 また、「庶民」という言葉を利用して、「庶民は間違った意見を言うことはあり得ない」「庶民は弱い立場だから、救済されて当然だ」などと、意識付けをしている政党や宗教団体もあるのではないか。
 繰り返すが、政治家や地方議員の活動の基本は福祉の充実である。しかし、言葉から受ける印象については、思い込みや思い入れで判断してはいけないと、最近は特に思っている。

(少し前のことだが、テレビのニュースを見ていたら、キャスターが政治の現況を嘆き「政治を私たち庶民の側に取り戻さなければ」と言っていた。よくあるコメントだった。何日かして、放送局に勤めている友人に会った時、偶然にそのキャスターの話が出たが、友人いわく「彼は一回二時間の結婚式の司会で、五十万円の収入がある売れっ子だ」と、嘘ではないだろ。いったい、誰が庶民なんだ!)
 <2004年1月>