以前にも紹介しましたが、「民主社会主義研究」を改題した「改革者」という月刊誌があります。この雑誌は大学教授を中心に、新聞解説(論説)委員や連合幹部などが執筆しています。
 編集は「政策研究フォーラム」で、理事長は慶応義塾大学名誉教授の堀江湛(ほりえ・ふかし)さんです。先生は杉並区民でもあり、私の政治活動用リーフレットにもお名前を載せさせていただいている方です。
 その改革者の2月号に堀江理事長が巻頭言(タイトルは羅針盤)として、「なにが公益かを決めるのは国民だ」という文章を書かれています。
 小沢幹事長の不起訴が決まる前のものですが、明快かつ理論的な内容ですので、以下、全文を掲載します。

 東京地検特捜部は、民主党小沢幹事長の元秘書石川知裕議員を他の秘書2名とともに小沢氏の2004年の政治資金収支報告書記載漏れに関わる容疑で逮捕した。
 憲法で国会の会期中、原則として国民の代表、国会議員の逮捕を禁じているのに、週末を挟んで事実上国会開会の前日、しかも翌土曜日の民主党党大会を控えての逮捕となれば倒閣運動あるいは夏の参院選の民主党過半数獲得阻止を図った政治的逮捕という声が上がっても仕方がない。
 わが国は議院内閣制をとる民主国家だ。これは国民自身が政治のすべてを処理するわけにはいかないため、直接公選で選任した国民代表が国権の最高機関、国会を構成し立法権を握る。そして国会の多数派が首相を首長とする内閣を構成し、行政権を掌握して国の政策形成を行うというシステムだ。
 国家には国民の生命、自由、財産を守るための軍隊、警察、司法つまり裁判組織等の実力組織が必要だ。しかしこの実力組織が暴走したら逆に国民の人権は危機に瀕する、そこで民主主義国家ではこれら組織に対する広義のシビリアンコントロールの制度を設けている。我が国の警察に対する国家、都道府県の公安委員会がこの例だ。しかし司法に関しては裁判官の形骸化した最高裁判所判事の国民審査と同様、準司法たる検察官への国民の信任を問う制度はないといってよい。
 1954年吉田内閣末期造船疑獄で、自由党佐藤栄作幹事長に対する逮捕許諾請求に犬飼法相が待ったをかける指揮権発動を行い、世論は激昂し、法相は辞職、政治生命を失った。この事件以来法務大臣のもつ検察官に対する指揮監督権、つまり国民の意思は事実上封印されてしまった。また検察庁法4条は検察官は公益の代表者と規定しながら、これを保障し国民がその責任を負う制度はない、法の不備だ。
 小沢幹事長は検察の任意の事情聴取に応じた。ところが今度は夫人の事情聴取をもとめると報道されている。任意の事情聴取では弁護士の同道、同席が認められる場合もあるが発言助言は許されない。
 日本の裁判は検事の作成した調書をもとに進められ、検事は有罪にするため自白をとることに威嚇、誘導尋問も辞さない。外務省の佐藤優氏の勾留は512日に及んだ。取調可視化法案制定が必要な理由はここにある。日米地位協定の改定もわが国の被疑者の人権の保護が不十分だという米国民の不安を解消しない限り不可能だ。

2月16日(火曜日)

公益と検察庁

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